東京高等裁判所 昭和27年(ネ)896号・昭27年(ネ)2196号 判決
控訴人は本訴として控訴人と被控訴人との離婚並びに財産分与及び慰藉料の支払を求め、被控訴人は反訴として被控訴人と控訴人との離婚及び慰藉料の支払を求めるものであるから、先ず右本訴及び反訴のうち離婚請求の点につきあわせて判断する。
公文書であるから真正に成立したものと認めるべき甲第一号証の記載に原審における証人間中常吉、同間中しん、同間中力蔵、同富山サト、同富山とめ、当審における証人山田ふくの各証言、原審並に当審における控訴人、被控訴人各本人尋問の結果に本件口頭弁論の全趣旨をあわせると次のような事実を認定することができる。すなわち
(一) 大正十五年三月二十八日生れの控訴人と大正十三年八月二十日生れの被控訴人とは、昭和二十三年一月三十日媒酌人があつて結婚の式をあげ、被控訴人の肩書住居で同棲し、同年四月十五日婚姻の届出をすましたもので、昭和二十五年一月三十日に両人間に長男仁一が生れたこと、
(二) 右婚姻以前控訴人は早く父を失い兄力蔵が親代りとして控訴人のめんどうを見て来たが、控訴人は小学校卒業後一時裁縫を習いその後は母せん及び兄夫婦らとともに田畑約一町四反を耕作していたもの、被控訴人方は控訴人が来るまでは被控訴人とその両親との三名で田畑約一町五反を耕作していたもので、両者はいずれも専業の農家であつたこと、
(三) 控訴人は被控訴人方で農家の一員として一般の家事の外家人とともに農業に従事して来たが、被控訴人方では被控訴人の父仁助は婿養子で、母サトは家つき娘(いわゆる内娘)で世間を知らず、家庭内において、とかくわがままに振舞いがちであつたこと、
(四) 控訴人と被控訴人の婚姻生活ははじめしばらくは夫婦仲も円満で家庭内の折合もよく、かくべつのこともなく過ぎたが、その後だんだん後述のようないろいろのいざござが起るようになつたこと、
(五) 昭和二十三年九月頃控訴人が被控訴人やその母サトらとたばこの葉をのばす作業をしていたとき、右サトは控訴人が被控訴人らと笑つたことを誤解して感情を害し、「嫁まで自分のことを笑う、そんな嫁は家にはおけない」といい、翌朝控訴人が朝のあいさつをしても、「お前らにはお母さんなどといつてもらわなくてもよい、外の子供にいつてもらう」とてそれ以上口をきかず、控訴人は耐えかねて同日実家である同郡長須村の兄間中力蔵方に帰つたところ、この時は被控訴人の方で被控訴人の姉夫婦をたのんで迎えに来たので二三日後控訴人は実姉山田ふくと被控訴人の姉とに伴われて婚家に帰つたこと、
(六) 昭和二十四年十一月頃長男仁一を懐姙中であつた控訴人が夫被控訴人の同意を得て右長須村の運動会を見物かたがた実家の手伝いに行き、五六泊して帰つたところ、右サトはこれを誤解して憤慨し、「子供は伜の子供だが腹は借り物だから暇をくれといえばいつでも帰してやる」といい、その際被控訴人も「お前が帰るなら別れてもよい」という態度を示したこと、
(七) 前記長男仁一出生の時控訴人の実家からは乳母車や産衣など約二、三万円のものが贈られたが、サトはこれを少いとして もつと財産家から嫁に貰えばよかつた」などというようなことをいつたこと、
(八) 昭和二十五年六月頃農繁期にあたりたまたま控訴人は左手の指をはらして十分な働きができなくなつたので、被控訴人は実家に帰つてなおして来るようにすすめ、控訴人はそれに従つて実家に帰り、医者に通つて治療につとめ、その間数日を費して婚家に帰つたところ、サトは「実家で農事を手伝つていたのだろう、忙しい時に休むのは一年中休むのと同じだ」と非難し、被控訴人も 此方では人を雇つてまでやつていたのだ」といつてこれに同調したこと、
(九) 同年六月十五日頃控訴人が長須村の祭のため一晩泊りで実家に帰つたことがあり、その後しばらくしてたまたま長男仁一が百日咳にかかつたところ、被控訴人は、これを控訴人が不注意にも実家で感染させて来たのだといつて控訴人の髪の毛をむしつたり、なぐつたりして乱暴したこと、
(十) その間被控訴人方では前記のような反別の耕地を比較的小人数でしかも時期におくれぬよう耕作するので、農繁期などには骨が折れ、自然被控訴人方にあつて嫁としての控訴人の労働も相当加重されるものがあつたこと、
(十一) また食事や育児のことについてもサトらの意向で控訴人の思うようにならず、控訴人としては不満が重なつていたこと、
(十二) これらの状況の下にあつて被控訴人の父仁助はサトを十分制しきれず、被控訴人も親に従順であるだけで控訴人の立場をかばうにいたらなかつたこと、
(十三) 昭和二十六年一月上旬頃長男仁一が病気となり控訴人はサトから実家に帰つてなおして来るよういわれて一旦実家に帰つたが、その滞在のため控訴人が自分の着替や子供のおしめなどを被控訴人方にとりに行つたところ、被控訴人の父仁助から「着物などまで持つて行くなら道具類も全部やるから兄を呼んでこい」といわれたため、控訴人はこれ以上は辛抱できないとして離婚の決意を固め、人を介してその交渉をしたが、仲にたつた訴外倉持房之助らのあつせんの結果、被控訴人らも今後は十分気をつけてこれまでのようなことなく嫁のめんどうもよく見る、もし被控訴人の両親が口やかましく辛抱できないときは被控訴人は控訴人とともに両親と別居することにするから是非帰つてもらいたいとの切なる希望が示されたので、控訴人はこれを信用して同年一月十五日被控訴人方に戻つたこと、
(十四) しかるにその当初一ケ月位はサトも控訴人の帰つたことを喜び、控訴人に対しても親しみのある姑としてのぞんだが、間もなくまたもとのようになり、しばしば辛くあたるので、控訴人も居りにくくなり同年六月上旬頃一子仁一を残して兄間中力蔵方に戻つたこと、
(十五) これにつき被控訴人と父仁助とが心配して控訴人を迎えに行つたが控訴人は被控訴人の家ではとてもつとまらないといつて戻ろうとせず、その後控訴人から離婚等の調停の申立をし、その時も被控訴人側からは是非戻つてくれるよう懇望したが控訴人はききいれず、調停はついに不調に終つたこと、
(十六) その頃被控訴人の側としても控訴人が嫁入に際して持参した道具衣類等に対し仮差押をしたこと。
以上の事実が本件本訴及び反訴提起にいたるまでの事実として認められるところである。右認定に反する原審における証人富山とめ、同富山サト、同富山仁助の各証言は採用しない、
被控訴人は控訴人には婚姻前から交際のあつた青年がありその写真三枚をひそかに所持して常に思慕の情を寄せていたもので、このため控訴人は被控訴人との同棲をきらい離婚の決意をしたものであると主張するところ、原審における証人間中しん、同野本宇一郎、同富山サト、同富山仁助の各証言及び控訴人被控訴人各本人尋問の結果(但し右サト、仁助及び被控訴人の各供述中後記信用しない部分を除く)をあわせると、控訴人が昭和二十六年六月実家に帰つたあと、被控訴人方で控訴人の手箱をあけたところ、中から若い男の写真二枚が出て来たので、被控訴人らはこれは控訴人となんらかの関係ある者の写真ではないかと思いはじめたことは事実であるが、これは控訴人の実弟の戦友の写真で控訴人の婚姻前控訴人方にあつたのを控訴人の母があやまつて嫁入道具の中に入れたものが残つていたにとどまり、右写真の主と控訴人とはなんらの関係もないことが明らかである。右認定に反する右証人富山サト、同富山仁助の各証言及び被控訴人本人尋問の結果は信用できず、その他に被控訴人の右主張事実を認めるに足りる的確な証拠はない。
次に成立に争がないから真正に成立したものと認める乙第四、第五号証、公文書であるから真正に成立したものと認めるべき乙第六号証第七号証の一ないし三の各記載、当審における控訴人被控訴人各本人尋問の結果に本件口頭弁論の全趣旨をあわせると、
(十七) 本件第一審において控訴人の本訴及び被控訴人の反訴がともに棄却されたのを機会に、被控訴人は一旦控訴をさし控え控訴人に対し重ねて復帰を求めたところ、控訴人は全然その意思のないことを表明し、
(十八) さらに控訴人は本件第一審法廷における被控訴人やその母サトの供述について同人らを名誉毀損罪で告訴し、右事件は昭和二十七年十二月二十七日古河区検察庁において不起訴の処分があつたが、その間被控訴人らは捜査当局から取調を受け、
(十九) また控訴人は被控訴人及びその母富山サトを相手取り古河簡易裁判所に対し損害賠償慰藉料請求訴訟を提起し、右事件は同庁昭和二十七年(ハ)第四号事件として係属し、さらに控訴人を相手取り水戸地方裁判所下妻支部に対し動産引渡請求訴訟を提起し、右事件は同庁昭和二十七年(ワ)第二九六号事件として係属し、現に互いに抗争中であり、
(二十) 控訴人は昭和二十七年十二月十七日実家間中力蔵方を去つて上京し、現在肩書住居において裁縫で生計を立て、将来もこれを継続したいとの意思であり、
(二十一) 一方被控訴人も同年十二月二十七日本件訴訟につき附帯控訴をして反訴請求を維持するにいたつたこと、
をそれぞれ認定することができる。
以上の事実関係によつて考えると、控訴人と被控訴人との婚姻生活が円満にいかなくなつた根本の事由としては、被控訴人の母サトが家つき娘で自ら嫁としての苦労を知らず控訴人の立場に対する理解に乏しく、農家の主婦として昔風のしきたりの中でわがままに振舞い、殊に農村一般の気風としてありがちな、嫁は自分の家にもらつたもの、しかも一般家事の外農業労働についても有力な働き手をもらつたものとの観念のもとに控訴人を遇することのみ多く、家人もこれを怪しまないのみか、被控訴人の父仁助は婿養子であえてサトを制するに足らず、被控訴人もまたいたずらに父母に従順にのみ過ぎ、控訴人の夫として、他家から入つて自家の一員となりしかもまだその座の確立しない嫁たる控訴人を蔭に陽にかばつてこれをあたたかく抱擁する積極的な努力と意思に欠けており、一方控訴人自身も早く父を失い、母親と若い兄の許で比較的自由な環境の中であたらしい時代の空気を吸つて成長したため、前記のようなサトの気風や被控訴人方のあり方に対する順応性に乏しく、被控訴人やその両親の言動も、或いは控訴人が必要以上に実家に帰るものとして快からず思うことに発し、或いは長男仁一に対する愛着の余りに出るものもあることに思いいたらず、ひたすらこれを苦痛として受取り、そのはげしい家事や農業労働と相まつて被控訴人方に止まることを耐え難く思うにいたつたところにあるものと推測することが出来る。従つてかかる状態を脱するためには被控訴人方のそれぞれが思いをあらたにして嫁たる控訴人の立場に十分の理解をもつてこれをあたたかく迎え、かつまた夫たる被控訴人においても控訴人をして被控訴人方の生活に耐えるだけ十分の庇護と愛情を惜しまないか、さもなければ一時夫婦が父母と別居して日常衝突の機会を少くする等賢明な措置に出るべきものであつたが、前者はすでにその実績に照してとうていこれを期待することはできず、後者の措置もまた当審における被控訴人本人の供述によれば被控訴人の家計の状態をもつてしては経済的に不可能であるとしてこれをあえてする意思のないことが明らかである以上、打開は困難であつて、ひとり控訴人にのみ現状のまま忍従を強いることは相当でない。しかも本件第一審以後は訴訟提起後のやむなき勢いとはいえいよいよ両名の対立関係は激化し互いに相手を傷け合い、今日にあつては控訴人被控訴人のいずれもが婚姻関係を継続する意思のないことを明らかにしているのである。このような事情の下ではもはや両者の婚姻関係の継続を求めることは不可能を強いるものというべく、正に民法第七百七十条第一項第五号にいう婚姻を継続し難い重大な事由があるものと解するのを相当とする。このような事態に立ちいたつた事情は前記のとおり厚薄の差こそあれ控訴人被控訴人双方の側にあるとともに、そのいずれか一方のみの事情によつてしかるものとは解せられないが、いずれかの一方にその事情がなければ本件の破局にいたらないものとも云うべく、結局両者の事情が相互に、かつ他の事情と相競合して、その婚姻関係に破たんを来たさしめているものと認めるべきものであるから、両者の離婚を求める控訴人の本訴及び被控訴人の反訴はこの点につきともに理由あるものとしてこれを認容しなければならない。
次に控訴人は本件離婚に伴い財産分与の請求をするのでこの点について判断すると、前認定のような控訴人の実家間中力蔵方及び被控訴人方が専業農家で前記のような耕地を有し(もつとも被控訴人自身の特有財産がいくらであるかは明らかでない)、控訴人が被控訴人方にあつた三年四ケ月の間控訴人は一般家事の外、家人とともに被控訴人方の農耕に従事したこと、原審証人間中常吉、同間中力蔵の証言によつて認められる附近における農事雇女の一カ年の給料が約三万円であることその他一切の事情を考慮すれば被控訴人は控訴人に対し財産を分与すべきものであり、その額は金五万円、その方法はこれを即時支払わしめるべきものとするのが相当である。なお被控訴人の右財産分与の義務は本件判決確定によつてはじめて発生するものであるからその確定前に遅滞におちいることはなく、その確定の日から支払ずみにいたるまで右金員に対する年五分の遅延損害金を支払うべき義務があることとなり、その確定の日はあらかじめ知ることができないが、将来の請求の範囲内でこれを認容すべきものである。すなわち被控訴人は控訴人に対し金五万円及びこれに対する本裁判確定の日から支払ずみにいたるまで年五分の金員を支払うべきものである。
さらに控訴人被控訴人双方とも互いに相手方の責に帰すべき事情によつて離婚のやむなきにいたつたものとして控訴人は本訴において被控訴人に対し金五万円、被控訴人は反訴において控訴人に対し金十五万円の各慰藉料をそれぞれ請求するところ、本件離婚によつて各当事者いずれも精神上に苦痛を生じたことはみやすいところであるが、そのここにいたる原因は両者の側にあり、しかもいずれもそれ自体では決定的な原因と認められないが、両者が互いに、かつ他の事情と相まつてその婚姻関係に破たんを来たしていることは前認定のとおりで、結局双方の事情は本件離婚に対して相当因果の関係に立つものと認めるべきであるから、当事者互いに相手方に対して慰藉料を支払うべき義務がある。しかしてその額は、本件にあらわれた控訴人、被控訴人の年令、性別、将来再婚の難易、双方の資産状態、財産分与の関係その他一切を考慮し、かつ離婚にいたる事情が双方にあること及びその程度の厚薄につき民法第七百二十二条の趣旨に則り、結局被控訴人の控訴人に支払うべきものは金三万円、控訴人の被控訴人に支払うべきものは金二万円を相当と認める。